人は自分の価値観という色眼鏡を通して、物を見たり聞いたりしているにすぎない。
一人暮らしで遠方に息子が在住している方、お名前は田中さん(仮名)
この遠方の息子は仕事が忙しく、田中さんの事でAケアマネが相談の電話を入れても
「仕事が忙しいので、帰省出来ない!」の一点張り
Aケアマネは怒っている。
「自分の母親でしょ! なんて息子なの!」
Bケアマネは言う
「息子さんも帰省したいけど、仕事が忙しくてなかなか帰れないんでしょうね」
Aケアマネに怒っている原因を聞くと「息子が原因」だと言う。
しかし原因は本当に息子のせいであろうか?
現にBケアマネは怒っていない。
同じ出来事に対して、怒っている人とそうでない人がいるという事は
原因は息子ではなく
その人の価値観やモノの見方が「怒らせている」という事になるのではないか。
つまり、それは色眼鏡である。
我々は物事をあるがままに見ているようで
実は自分のあるがままに見ているにすぎない。
物事の原因を他者(息子)に求めているうちは、おそらく解決への道は険しい。
原因を自分の価値観であると考えるなら、解決は早い
なぜなら、他人を動かす事は容易ではないが
自分の事だあるならば、すぐにでも改善できるからだ
原因を他者に求め、ひたすら変えさせようとしている人と
原因を自分にあると考え、自分が変わることで、相手への影響を高めようとしている人
限られた時間をどちらにエネルギーを注いでいるかによって、問題解決能力が変わってくる。